ばあちゃんが亡くなって6年、今も感じている哀しみ、恋しさ

 

もうすぐ、祖母の命日がやってきます。

 

亡くなって6年が経ちますが、ばあちゃんっ子だった私は、今も哀しみ、恋しさを感じています。

 

振り返ると、亡くなった当時は、泣くのを我慢して哀しみを感じないように抑えていたような、そんな気がしています。

 

「愛着のある者(物)との喪失体験による悲哀」をグリーフと言い、その時に感じている、哀しみ、怒り、寂しさ、恋しさ、後悔などの反応をグリーフ反応と言います。

 

私の場合、当時ばぁちゃんが私の知っているばぁちゃんで無くなっていくことへの恐怖、亡くなった時の哀しみ、哀しみを抑えるように家族とばぁちゃんについて笑顔で話していた空元気、もっと話したかったこと、したかったことがたくさんあった後悔、会いたいなぁという恋しさ、、全てがグリーフ反応だったんだなぁと、振り返った今、実感しています。

 

大正の時代に生まれ、4人の子どもを育て上げて、昭和、平成の時代を生ききった、ばあちゃん。

 

私よりも小さい体で、ほっかむり(手拭いを被ってあごでとめるやつ。伝わってる?)をして、畑仕事、家事と、ちゃきちゃき働いていた姿が思い出されます。

 

そんなばぁちゃんから継承したものが、たくさんあります。

 

時間は守る、自分がされて嫌なことは人にしない、というような沢山の教え、血液型がO型、髪が伸びると肩のところでモワっと広がるあの感じなどなど、、( ´艸`)

 

継承されているものに改めて気付くと、ばぁちゃんに会いたいなぁ、という恋しい気持ちをじんわり感じています。

 

当時は感じないようにしていたけれど、グリーフ反応であるということが分かった今は、感じないようにしたり無かったことにせず、哀しみや恋しい気持ちを感じることが、心にも自分にも優しい在り方だと思っています。

 

亡くなったという哀しい事実は変わりません。

 

哀しみだったり、後悔だったり、恋しい気持ちだったり、、この気持ちを感じながら、ばぁちゃんと過ごした日々を想い、継承したものに感謝をして過ごしていこうと、改めて思っています。